根拠を集めるほど、エントリーの判断はぶれる――分析が「安心探し」に変わるとき
「もう少し根拠が欲しい」
エントリーしようと思ったものの、何となく不安が残る。そこで別の時間足を確認する。移動平均線も見る。ほかのインジケーターを表示して、関連しそうなニュースまで調べてみる。最初は十分だと思っていたのに、調べるほど気になることが増えて、結局エントリーできなくなってしまう。反対に、あちこちから都合のいい根拠を集めて「これだけ揃ったんだから大丈夫だろう」と、勢いでエントリーしてしまう人もいる。
一見すると正反対の行動だけど、この二つには共通点がある。どちらも、何を確認すれば判断できるのかが曖昧なまま、情報を探し続けていることだ。そもそも、根拠はいくつ集まれば十分なのだろうか。三つあればいいのか。五つなら安心できるのか。十個も揃えば、もう間違いないと思えるのだろうか。もちろん、情報が増えることで判断の質が高まる場合はある。でも、相場では根拠の数が増えたからといって、次の一回で利益になることが保証されるわけではない。
ここで問題になるのが、分析の目的だ。自分が参加すると決めた条件を確認しているのか。それとも、今回のトレードが正しいという確信を得るために、安心できる理由を探しているのか。この二つを混同すると、真面目に分析することが、かえって判断の妨げになる場合がある。
分析すれば、損失の可能性を消せるのか
『ゾーン 最終章』(原題:The Complete Trader)では、テクニカル分析の限界を論じたあとに「分析に対する幻想」という問題が取り上げられている。十分に分析すれば将来の値動きを正確に知ることができ、損失のリスクまで取り除けるという思い込みだ。続けて、分析に頼っても行き詰まる理由を説明する部分では、個々のトレードで正しくあろうとする気持ちが、分析の堂々巡りや判断のためらいにつながる問題が説明されている。
この議論を読んで「分析すること自体が間違いなんだ」と受け取ってしまうと、本来の意味からズレてしまう。相場には分析できることがあるし、一定の条件で有利だと考えられる場面を探すことにも意味はある。ただし、その条件が成立したからといって、次の一回の結果まで分かるわけではない。過去に確認した優位性が今後も同じように働く保証もない。私が以前から繰り返してきた「トレードでは予測するな」という話も、次の一回を当てようとして、その予想が正しいことを前提に判断する思考を問題にしている。
そして今回、『ゾーン 最終章』の議論を出発点にして、もう一歩掘り下げたいことがある。それは、分析によって不確実性を完全には取り除けないと理解していても、実際には安心するために情報を増やしてしまうという問題だ。頭では「次の一回は分からない」と理解している。それなのに、いざ注文する段階になると「もう一つ根拠があれば大丈夫かもしれない」と考え始める。知識として理解していることと、その理解に沿って実際に判断できることは同じではない。
分析しているのか、安心したいだけなのか
分析している本人は、いい加減なことをしているつもりではない。むしろ、適当なエントリーを避けたいから慎重に情報を集めている。間違いたくないし、大切なお金を失いたくもない。その慎重さ自体は自然なものだ。ただ、必要な情報が不足しているから調べることと、負ける可能性が怖いから調べ続けることは分けて考えたい。
心理学でも、人が選択するときに自分の判断を正当化できる理由を求めることや、決定を先延ばしにすることが研究されている。1993年のShafirらの論文では、選択の理由が意思決定に果たす役割が検討され、2003年のAndersonの研究レビューでは、判断の先延ばしや行動の回避に関する研究が整理されている。これらはトレーダーの分析行動を直接調べたものではないけど、人が判断に理由を求めたり、判断そのものを避けたりすることがあるという視点は、トレードにも応用して考えられる。
たとえば、エントリー条件は揃っているのに「もう少し確認した方がいい」と考えて別の指標を表示する。そこで気になる点が見つかると、さらに別の情報を探し始める。これでは、分析を増やすほど新しい疑問が生まれてしまう。なぜなら、最初から何を確認したら判断を終えるのかが決まっていないからだ。
では、分析を終える条件はどう作ればいいのだろうか。ここからは、よくある取引場面を例にして、根拠を追加することで何が変わるのかを確認していく。さらに、必要な情報と安心するための情報を区別し、毎回違う理由で売買する状態から抜け出すための判断基準を考えてみたい。